朝八時台の飛行機に乗り、マドリードからローマへ。
ローマ第三大学で開催されるイタリア定型表現学会に参加すること。
これがミッションである。

言語学でいう定型表現 ‘phraseological unit’ と普段の生活でいう定型表現は大分別物である。
スペイン語に限らず、外国語学習において定型表現を抑えられるととても強いので、
定型表現とは?みたいな話を少し書いておきたい。
定型表現とは
いきなりだが、以下のようなことを主張があるとする。
「単語を一つずつ組み合わせることで文ができる」
一見、正しそうである。確かに、
Yo soy Taro.
という文を作るとき、Yo / soy / Taro という三つの単語を組み合わせて作っている気がする。
しかし、ちょっと考えればこの主張と矛盾するようなケースがいくらでもあることに気づく。
例えば、熟語である。Tener que V はご存知の通り「V しなければならない」ということだが、
tener ‘持っている’ と que ‘接続詞’ を足しても「~しなければならない」という意味にはならない。
つまり、スペイン語話者は、tener と que を都度組み合わせているのではなく、
tener que V という三語からなる句をそのまま頭に入れていることになる。
コロケーションも反例になるだろう。
コロケーションというのはざっくり、
「理屈を無視した自然な語と語の慣用的な結びつき」である。
例えば、日本語母語話者は以下の日本語を妙だと思うだろう。
しかしながらこれは日本語の非母語話者が言いがちな表現である。
昨日風邪をしてしまった/持ってしまった。
昨日風邪になってしまった。
何故これでは不自然なのか。それは、風邪は「ひく」、「かかる」ものだからである。
(経験としての話なら「風邪をする」はアリかな: 「子供の頃にひどい風邪をしてね」)
ただ、これもよく考えたら妙な話ではある。
「ガンになる」とは言えるのに、何故、「風邪になる」とは言えないのか。
これはおそらく、日本語母語話者は「ガンになる」、「風邪をひく/にかかる」
という句を丸ごとそのまま覚えていて、この句に慣れ過ぎているので、
それ以外の言い回しを不自然に感じているのであろう。
「理屈を無視した自然な語と語の慣用的な結びつき」とは要はこういうことである。

泉 昌之 (2011)『食の軍師 (1)』日本文芸社
長々と書いたが、ポイントは
どうも人間は単語だけでなく、熟語やコロケーションのような出来合いのフレーズを自分たちが思う以上にたくさん暗記しているようである
というところである。
そして、熟語やコロケーション、慣用句や構文など、「出来合いのフレーズ」全般を
言語学では定型表現と呼んでいる(分野によってブレもあるが)。
定型表現は色んな角度から議論して楽しい題材であるが、
外国語教育的では、定型表現は覚えれば覚えるほど流暢になるし、
定型表現のミスはかなり悪目立ちするので重点的に扱っていこう、
という風潮が年々強くなっている。
Amazon で「コロケーション」やら「構文」で検索すれば、
関連教材がたくさん出てくるので盛り上がりを感じてもらえるのではないか。
本サイトに最頻出熟語集があったり、
「例文で学ぶスペイン語の語彙」にやたら出てくる「コロケーション」、「塊ごと覚えよう」みたいな言い回しはこうした問題意識に基づく。
と、こんな感じで定型表現は言語学の中でもアツめのトピックで、
年がら年中、世界のどこかで関連する学会やシンポジウムが開かれている。
そうした状況下、今回の学会では、
コロケーション間違いの強烈な温床である tomar について、
「ぼくのかんがえたさいきょうの tomar 教授法」
を発表した。七回四失点、みたいな出来であった。
「し、試合は作ったし……」とブツブツうつむきながら会場を後にしたという。
[…] ゆかいな学会 第三部 定型表現ローマの半休 […]