本職、外国語学部 > 言語学 > 言語学・スペイン語教育という人生を生きていることもあり、言葉というものと壮絶な付き合い方をしている人のことをしばしば知る。辺境作家・高野秀行先生もその一人だ。

辺境作家という自称されているように、高野先生は「誰も行かないところへ行き、誰もやらないことをし、誰も書かない本を書く」をモットーとされていて、コンゴの湖に怪獣を探しに行く、ビルマのゴールデントライアングルに潜入し、現地の人たちとアヘンの材料となる芥子栽培に従事する、勢い余ってインドから出禁になる、などなど、エクストリームなルポというか、紀行文を多数発表されている。

本職、日本一とまでは言わないが、福岡市で一番の高野ファンくらいのレベルではあると思う。「高野本」の魅力について語りたいことは山ほどあるが、本職を痺れさせているのは、先生と言葉の付き合い方である。この関係性には妥協というものが一切なく、なんというか壮絶なのだな。高野先生ご自身はちょいちょい、「言葉は自分の知りたいことを知るためのツール」みたいなことを書かれる。こういう言い回しは、往々にして怠け者が言葉の勉強に手を抜くための言い訳に用いられるのが相場だが、高野先生の言語の学習プロセスにそういう甘えは一切ない。

特に好きなのは、早稲田大学探検部時代のエピソードだ。部を挙げてコンゴの湖に怪獣を探しに行く、というプロジェクトを立ち上げた高野青年は、渡航前に現地で話されるリンガラ語を学習するべしと思い立つ。が、東京広しといえど、リンガラ語母語話者のコンゴ人を見つけるのは至難である。そして、部員を総動員する勢いでリンガラ語を教えてくれそうなコンゴ人の捜索を始める。また聞きであろう「テレビで池尻の定食屋で働いているコンゴ人を見た」という恐ろしく解像度の低い目撃情報を基に池尻の飲食店を片っ端から訪ねて回るというエピソードは笑えるのと同時に、一言語ファンとして、その熱意に感服せざるを得ない。結局コンゴ人は見つからなかったが、ザイール人なら見つかり、彼からリンガラ語を習うというオチもよかった。リンガラ語はザイールの公用語でもある。

高野本にはたいてい、こんな感じで、いかに現地の言葉を学んだのかという経緯が描かれる。この、言葉を学ぶために自分で道を切り開いていく感じに畏怖の念すら覚える。外国語学部のスパルタンなカリキュラムを指示されたとおりにこなす、ということは性に合っていたが、高野先生のように、自分で教師を探す、教科書のないような言葉を学ぶために自分で教科書を作る、ということはしたことないもの、本職。なんというか、特に道場的なものに通わず侍から刀をカツアゲして回っていた武蔵坊弁慶的な迫力を感じるのだな。特に本職、院生をしているころは全体的に卑屈だったので、高野本を読んでは、「俺のスペイン語なんか戦場では即死する道場剣法や……柳生の下っ端や……」と涙を流したものである。

さて、そんな辺境作家の高野先生の新刊が、表題の「語学の天才まで一億光年」である。これまでの先生の人生の中でどんな言語とどのように付き合ってきたのかが語られている。高野本にハズレ無しということは常々言っている通りだが、この本は期待以上に面白かった。語学科目を楽しんでいる学生の皆さんなら絶対楽しめると思うし、それ以上に、「語学、もう無理なんですけど……」と思っている層に読んでほしい一冊。

優れた本はいろいろな読み方ができるものだが、ぱっと思いつくだけでもこの本には

  • 言葉に軸足を置いた紀行文
  • 世界の言語の概説書(複数の言語学者が監修についている)
  • 独自過ぎる外国語学習エッセイ
  • 言語あるあるの玉手箱
  • 人生の迷走の記録

という側面がある。単純に読み物として抜群に面白いので是非是非読んでみてください。ちなみに、後に高野先生と結婚する女性が「だけどね、絶対におもしろい。あたしは自分の文章には自信ないけど、 人の文章を見る目はあるの。あなたの書く文章はすごく『 粋』よ」 (ワセダ三畳青春期)とおっしゃっているように、高野先生は文章そのものもキレておられるので、文体とかリズムとかそういう点にこだわりのある人にもお勧めしたい。

特に、「なぜ自動翻訳がある時代に言葉を学ぶのか?」という問いに対する見解を述べるエピローグは必読であろう。本当に多くの人がこの問題を論じているが、現状、本職的に最もしみじみと受け止められたのが高野論であった。

コミュニケーションは協同作業

この本について述べたいことは山ほどあるが、普段の授業の補足になりそうな点を一つだけ。

やはり、教室で習う外国語は科目なので学生が間違うと教師はそれを訂正する。その結果、特に慎重派や聡明なタイプの学生は外国語を使う時に間違わないことを最優先にしがちである。普段、諸君ら相手に文法ポリスメンみたいな指導をしたり、テストは減点法で採点しておいてなんなんだが、間違いは絶対回避する主義は本質を大きく外しているので頭を作り変えてほしい次第。

本書の中にある通り、「コミュニケーションは協同作業」なのである。つまり、外国人がたどたどしく話してもよほどのひねくれものでない限りは理解しようと努力してくれる、そして多くの場合、なんのかんので理解される。「扇風機」を外国語で言えなくても、伝えようと努力してみれば、「ああ、それは『扇風機』っていうんだよ」と教えてくれたりもする。つまり、言葉を間違ったり知識が不足していても、意思の伝達はなされるのである。そして、こうして協同作業的に仕入れた知識というのはまず忘れないし、定着しやすい。手垢のつきまくった言葉だが、言葉は使ってなんぼ、だと本職は思うな。

というわけで、本学の学生諸君も、いい感じの階段を登っていると思うのでどしどし教室外でスペイン語を使ってどしどし間違えてほしいなと思う次第です。まして、インターネッツという便利なものがある時代だしね。外国語を使う、という行為も終わりがなく、恐ろしく奥が深いので一生楽しめますよ。

おまけ 本職の好きな高野本 五選

ワセダ三畳青春期: エクストリームな冒険の記録、ではなく、高野先生の十一年にわたる早稲田大学正門徒歩五分、家賃一万二千円の三畳間における青春と迷走の記録。「飯づくりは危険がいっぱい」、「人体実験で十五時間、意識不明」、「テレビが家にやってきた」、「真人間カバンと真人間ヘアー」というどうかしているとしか思えない章立てが素晴らしい。

幻獣ムベンベを追え: デビュー作。コンゴに怪獣を探しに行く話。過酷なジャングル生活でアイデンティティの危機に瀕し、ボミタバ語の学習を始めるエピソードには深い共感を抱いた。

イスラム飲酒紀行: 建前上、飲酒不可のイスラム教圏であるが、実は飲もうと思えば結構飲めるものである。この点を切り口に、イスラム各国を歩いた記録。きれいごとでは全くなく、人間はどこに行っても人間ということを伝えてくれる良書。本邦の紳士たちが愛してやまないクオリティジャーナル、 SPA! 編集部から出ているところもよい。

謎の独立国家ソマリランド: ノンフィクション関連の賞を総なめにした高野先生渾身の対策。情報量も多いが、それを堅苦しいノンフィクションとしてでなく、エンターテインメント性の高い本としてまとめたところが個人的にはすごいと思う。

謎のアジア納豆 そして帰ってきた<日本納豆>: ミャンマーでどう見ても納豆、という感じの食べ物を食べて納豆は日本だけのものではないということを知った高野先生が、納豆とは何か、納豆は世界のどういった地域に広がっているのか、納豆はどうやって作るのか、という問いに取り組んだ一冊。納豆の起源を探るべく、アジア各国を旅してまわったり、自作の納豆を作ったり。仮説を立てては検証、というプロセスを繰り返す本書が伝えているのは、まさに、研究という行為の楽しさでもある。これも学生時代に読んでいただきたい本。

By qsupe

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