Ser/estar/再帰 という三種類の受け身文の使い分けが怪しい。

というコメントをいくつか頂戴しましたので、追加で解説します。

以下のように考えてみてはいかがでしょう。

行為(~される)or 結果状態(~された状態になっている)

受け身文と一口にいっても、主語がなんらかの行為を受けている場面を描写するものと、その行為の結果状態を表すものがあります。Serと再帰受け身は前者、estar は後者を表します。

La puerta es abierta/se abre. ドアは開かれる(行為)

La puerta está abierta. ドアは開かれた状態になっている(結果)

たぶん、わかりづらいのは「その手紙は保管されている」をスペイン語にせよ、みたいなことを言われた時ではないでしょうか。これ、ser なの? それとも estar? となるのでしょう。

邪道もいいところなのですが、「~された状態になっている」と無理なく言い換えられるなら、それは結果状態を表す受け身文です。ひいては、estar + 過去分詞型を使いましょう。「その手紙は~」の場合、「その手紙は保管された状態になっている」と無理なく言い換えられるので、estar がハマります。La carta está guardada. でよかです。

じゃあ、ser 受け身と再帰受け身は同じものってこと?

カンのいい人なら↑のように考えることでしょう。完全に同じとは怖くて言えませんが、ser受け身と再帰受け身は、何かがある行為を被る、という状況を表すという点では共通しています。

ただし、それ以外に、大きく異なる点がいくつかあります。

主語の縛り

ser 受け身は人を主語に出来ますが、再帰受け身は出来ません。したがって、再帰受け身は「物・事がなんらかの動作を被る」という状況しか表せません。

La profesora es respetada mucho. その先生はとても尊敬されている。

× La profesora se respeta mucho.

行為者の縛り

The book was written by him. における by him のように、受け身文において、行為者を表すフレーズは付き物とお思いの人も多いでしょう。スペイン語では por + 名詞(句)が by + 名詞(句)に相当するフレーズです。Ser 受け身文ではこうした por 句を使えますが、再帰受け身では原則不可です。これもまた、両者を区別する大きな差です。

El libro fue escrito por él.

× El libro se escribió por él. El libro se escribió en 2001. のように por 句がなければアリ。

ジャンルの縛り

こうして書くと、ser 受け身は縛りが少なくて使いやすそう、再帰受け身は縛りが多いから使いづらそう。ser 受け身ばっかり使えばいいじゃん。

と思うかもしれません。が、ser 受け身はかなりカタい書き言葉です。そのため、実際にはほとんど使われることのない形式です。特に口語では使用が避けられる、という感すらあります。

一方、再帰受け身は特にカタい表現というわけではなく、書き言葉と口語の両方で使われます。うまい調べ方が思いつかず、具体的にどの程度の使用頻度の差があるのかは不明ですが、体感では、ser 受け身に比べ、再帰受け身が圧倒的に好まれる、という印象があります。実際に、教科書などでもそのように説明されます。

従って、「~される」という行為を表したいのであれば、まず、再帰受け身でいえるかどうかを考えるべきでしょう。

例えば、「その建物は 2006 年に建てられた」と言いたいなら、「主語はものだし、行為者も出てこないので、再帰でいけるな」と判断します。「その建物は 2006 年にホセによって建てられた」となると、行為者が出てくるので再帰は諦めるわけです。こうなると ser を使うしかないな、と思うかもしれませんが、能動態の使用も考えましょう。Ser 受け身は(教えといてなんですが)あまり使わないようにすることが、正しい使用のコツです。Ser しか使えなさそうなら、無理に受け身じゃなくてもいいじゃん、と考えればいいのです。よって、José construyó ese edificio en 2006 「ホセは 2006 年にその建物を建てた」. と言えばよいでしょう。

まとめ

長々と書きましたが、まとめると以下のようになるでしょう。

発展

再帰受け身にはあって、ser 受け身にはない大きな特徴として、再帰の方は中動態を作る、というものがあります。中動態というのは聞きなれない言葉でしょう。例えば、以下の日本語の文は能動態でしょうか、受動態でしょうか。

カープの新しいビジユニはあまり売れない

まず、能動態ではないことは明らかでしょう。この文が仮に能動態なら、主語は「カープの新しいビジユニ」になってしまいます。となるとこの文は、服が何かを売る、という頓珍漢な状況を示すことになってしまいます。また、何を売るのかも明示されておらず、この意味でもやはり頓珍漢です。

それでは受動態なのでしょうか。日本語の受動態なら「~によって」という行為者を表す句をつけられるはずです。が、

カープの新しいビジユニはカープによってあまり売れない

というのは明らかに妙です。このことから、「カープの新しいビジユニはあまり売れない」という文は受動態でもないことにもなります。なんとなく意味的には受動文に近いものがあるような気がしますが。

このように、よくよく見てみると、人間の言語には能動態でも受動態でもない文が存在するわけです。もっと言えば、直観的に、能動と受動のはざま、みたいな文です。こういう態のことを、中動態といいます。まさに、能動と受動の間だから動態なのです。スペイン語において、こういう中動文を作るのはまさに、再帰動詞なのです。

El nuevo jersey de visitante de Carpa no se vende mucho.

このことから、再帰受け身は潜在的に ser 受け身よりも受動性が低いということになろうかと思われます。そしてこのことは、再帰受け身は動作主句とセットで用いられない、受動文を避けがちなスペイン語で再帰受け身は高い頻度で用いられるという事実と無関係ではないでしょう。

さすがにもう眠いし、逸れ過ぎるので筆をおきますが、「再帰動詞は中動文を作る」という事実と「再帰代名詞は他動詞を自動詞にする」、「再帰動詞は無人称文を作る」といった事実の関連を考えてみると、再帰動詞に関する理解が深まったりするんじゃないかな……

いや、しかし、新しいビジユニ、赤すぎ。これまでのが素晴らしすぎただけに、いまいちときめいていない鯉党多数。たくさん売れるだろうか……

公式サイトより

まあ、本職は信者だから買いますが。金本入閣なら金本、田村がフェニックスであと一本ホームラン打てば田村、そうでないなら西川か秋山で新ビジユニを買おうと思う。

By qsupe

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